コラム

近未来的な日本暗号資産産業への警鐘

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TheDigitalArtist / Pixabay
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仮定のお話

つい先日、アメリカ最大手仮想通貨取引所Coinbaseの最高執行責任者(COO)のアシフ・ヒルジ氏が辞任した。2018年末には、最高技術責任者(CTO)のバラジ・スリニバサ氏も辞任している。

Coinbaseは、仮想通貨取引所市場で初めて上場せずに評価額が10億円を超え、2019年には、日本で間違いなく仮想通貨交換業のライセンスを取得可能だという。2016年には三菱東京UFJ銀行とも業務委託契約をしており、MUFGから総額10億円もの資金提供を受けている。

そのようなこれから最前線で未来での見通しが出来て、かつ仮想通貨業界を引っ張っていけるであろう仮想通貨取引所からどうして立ち去る必要があったのだろうかと、ついつい考えてしまう。

理由としてはいくつか考えられるだろうが、今回は、今現在の仮想通貨取引所の有り様では未来と将来性が見えない、という視点を仮定した上で考えていく。

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粗悪性の排除による進化の過程

昨今の、福岡で開催されたG20財務省・中央総裁会議ではデジタル課税についてを主要なテーマとして議論された。内容としては、マネーロンダリングやテロ資金供与などの対策として取引所などのVASP(仮想通貨サービス提供業者)の規制をより一層強化していく方針である。これには前提として消費者保護があるのだが、同時に粗悪なVASPの排除もあるのだろう。

仮想通貨取引所は今現在、プロジェクトの数より多いとされてきているが、私は直近で半分、数年後には10分の1から20分の1ほどまで半強制的に減少させてもいいと思っている。これはプロジェクトにも同じことがいえて、時代の進化を支えられない粗悪な対象は、どんどん排除していくべきであると考えるからだ。

これは、投資家保護の観点からいえばの話であり、それ以上のことはない。GAFAを始めとする国際大手IT企業に対するデジタル課税も然り、近未来的なことを考えるならばある程度の締め付けというのは必要なのであろう。消費者の観点から見ても、基盤の整った健全な母体を使うべきではなかろうか。

つまり、彼らは、情報を最先端で取れるからこその予見というのもあるのだろうか。大手取引所の初期のファウンダーだからこそ、強固な規制が入った場合の理想の喪失というのも十分あり得る。もしくは、逆に未来を予見出来たからこそ、それに応じた新たな発案も可能であろう。何にせよ、要注目である。

覇権争い

近年の仮想通貨市場を見てみると、ビットコインが200万円まで高騰した月の2017年12月には1兆円もの入金額を達し、平成29年を振り返ると現物は12兆円、証拠金・信用・先物取引においては56兆円を記録している。

ビットコインを始めとする仮想通貨における価格停滞の影響により入金額は落ち着いた印象ではあるが、581億円の入金額を記録。この入出金の金額や仮想通貨資産を考慮すると、金融庁など政府としては無視出来る存在ではなくなった。

取引所ハッキングにおける資金流出やICOでの詐欺行為など、仮想通貨のニュースでは悪いニュースばかりが目立つ印象である。だが一方で、億り人の続出や投資意欲の増大など、仮想通貨の存在は良い影響が少なからずあったのではなかろうか。

先日、トヨタ自動車の豊田社長による終身雇用の廃止に始まり、麻生財務大臣による退職後は2000万円の資産確保の提言など、資産運用における将来的危惧の発言が多くなった。将来的な年金制度の廃止など、政府から見ても超高齢化社会突入における資産形成の問題解決は急を要することとなった。

話が暫し逸れたわけだが、何が言いたいのかというと、政府もそれだけ新たなマーケット拡大に励んでいるということである。それにはまず、覇権を取っていく必要がある。しっかりとマーケットでのポジションを取っていかないと、またもや苦い思いをするであろう。

日本は過去に、時価総額の世界ランキングで上位をほぼ占めていた時代があったらしい。だが今は辛うじてトヨタが50位あたりを行き来しているだけで、後はほぼアメリカと中国に占拠されている。これは、先行的にソフトウェアの覇権を前もって取っていたからに他ならない。

Googleに始まり、AmazonやFacebook、Appleなど日本でも無くてはならないものへと変貌したように、日本はもはやソフトウェア上の植民地といえるだろう。つまり、我々は海外勢による外貨獲得の手助けをし、間接的に搾取され続けているのである。

もし、このままブロックチェーンや仮想通貨が同様に、なあなあで上記のCoinbaseなど海外大手取引所基準の市場になっていった場合、ますます日本の立場は無くなっていくだろう。今や政府も推進しつつあるSTOなども米国主流のものであるし、着々と日本のポジションが失われつつあるのではなかろうか。米国出身であるリップルも、公式的に日本で使用され始めており、リップルとの契約も大々的に行われてきている。

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覇権の奪取

ソフトウェアの覇権を取れているアメリカと、その影響を受けていない中国が未だに好景気なのは、先行的な技術面やマーケティングの面で圧倒的に優れており、しっかりとポジション取りを終えているからである。

例えば、仮定のお話で、今の日本の状況ではほぼ有り得ない話であるが、日本固有のものとして他国にも対抗していく声明を出したい場合、更なる規制強化と必要な締め出しを行っていく必要性が出てくるだろう。

10年以上にさかのぼる訳であるが、中国はそろそろ限界、もうすぐ崩壊する、などと日本では囁かれていた訳だが今はどうだろうか。グレートファイヤーウォールなどと小馬鹿にされていた中国が今や、独自のマーケットを作り出している訳である。多少の荒療治や模倣などはあるかもしれないが、結果としては巨大な資本を生み出している。

万々が一、日本も独自の生態系を作りたい場合、こういう策もあるという話だ。ハードウェアにおいては日本は強かった訳だが、いつまでも昭和の遺産に頼っているようでは、また更なる濁った泥水を啜ることになるであろう。

ちなみに、覇権争いに日本が加わっていく場合、ブロックチェーンの特許を取っていくことになる訳だが、ブロックチェーンの特許に関しては、既に中国、米国を中心に8割方は取られていることを念頭に置いておくべきである。我々がようやくスマートフォンでYouTubeの動画を見たり、テトリスをしてみたりと満足していた頃、既に中国やアメリカなどは次の覇権争いの準備をしていたということになる。日本はいかに甘んじた状況に置かれているのかが分かるだろう。

上記全てのことを踏まえた上で、取引所やプロジェクトも展開をしていく必要がある。そういったことも考慮に入れた上で、小さな一歩を踏み出していく必要がある。どこまで彼らに追い付けるか分からないが、次なる時代に備えていくべきであろう。

政府の思惑と我々の展望

もし仮想通貨が一般的に普及された場合、少しでも覇権争いに滑り込むことが出来れば日本の立場は段々と変わっていき、少しは陽の目を浴びることが出来るだろうか。

今月末に日本で開かれるG20首脳会議では、またしても仮想通貨に関して議題に上がるそうだ。仮想通貨の規制をどの国よりも進めて来た日本は、いち早く対処をして来たと言えるだろう。消費者ファーストを心掛け、環境作りに励んで来た日本に取っては、何としても他国より一歩先に抜きん出たい筈だ。これは、大きく新たな産業を見込んでのことであろう。しっかりと政府が舵を取って前進していく考えだろうか。

ただし、ブロックチェーンの特許に関しては、既に中国、米国を中心に8割方は取られていることを念頭に置いておくべきである。我々がようやくスマートフォンで満足していた頃、既に中国やアメリカなどは次の覇権争いの準備をしていたと言うことである。

先日、日本・米国・ヨーロッパの主要銀行がブロックチェーンでの仮想通貨発行を計画していると、日本産経新聞が報じた。

三菱UFJや三井住友が、米国や英国の中央銀行や大手金融機関などと組んでいくという。日本円や米ドルを始め、ユーロ、ポンド、カナダドルを利用可能通貨として取り入れていくそうだ。これが実現されれば、そこらのプロジェクトなどの思惑はほぼ打ち砕かれていくだろう。

更に、この国際的な政府主導とも言えるプロジェクトは、大きなユーロ圏のようになっていくのではないだろうか。つまりは、気に入らない国の大幅な経済制裁と締め出しも可能という訳である。世界共通の通貨というのは、それだけの影響力がある。Facebookも通貨を作ろうとしていたらしいが、更なる規制が入る可能性があるだろう。

そう考えると、日本としては更なるポジション確立は難しくなる。なので、結論からいうと、我々が今後取るべき行動としては、なるべく彼らに抗うことなく円滑にビジネスを進めていくべき、という考えに至る。つまり、今後、各々プロジェクトや取引所の立ち回りとしては、進むべき方向をしっかり見据えた上で、方向転換も頭の片隅にでも置いて、考慮すべきだと私は思う。今後の展開が実に楽しみである。

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この記事を書いた人

ブロックチェーン業界であれば誰もが知るグローバル取引所のメンバー。
職務上様々なプロジェクトと接する中で、プロジェクトを見る目が洗練されており、業界や市場のトレンドに非常に敏感な立場でもある。

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